剣山から石鎚へ!(1985年)

[四国]



 
 自転車で走り抜けた四国剣山・石鎚山の記録です。山も、山麓の里も、道も、
変わってしまったものが多いでしょうが、当時と変わらないものもきっとあるはず...
 
 
 
☆日 時   1985年 4/26〜5/3
☆アプローチ 列車&自転車(ランドナー)
☆単 独
☆登った山
   眉山(徳島市)、焼山寺山、剣山(1955m)、梶ヶ森(1400m)、石鎚山(天狗岳)(1982m)、
      瓶ヶ森(1896m)、富士山(伊予大洲市)

石鎚天狗岳



4/26 矢板(栃木県)+++東京+++

 予定の仕事を終えて5時40分に職場を出る。一旦帰って自転車(ランドナー)で出発。東北線の片岡駅(当時、 栃木県矢板市に在住)まで走り午後6時44分、鈍行上野行きに乗る。東京で夜10時発の大阪行き急行銀河51号 に乗り替え。全車指定席でほぼ満席状態。空いていれば横になれるんだけれど...ほとんど寝ることはできず。 静岡あたりから雨。

4/27 +++芦屋⇒徳島→大日寺(四国13番札所)

【徳島へ船旅】  朝7時47分大阪に着く。177に電話したところ午後から晴れるという(^^) 快速に乗り換え芦屋で 下車、ランドナーを組み立てて東神戸フェリーターミナルへ。徳島行きの切符を買って車両甲板へ乗り込む。 同じように乗船しようとしている長い髪のうら若き女性サイクリストが・・・。彼女の自転車はとても太いタイヤの オフロード仕様車、つまりマウンテンバイクだった。(ちなみにこのとき初めてMTBを見たのだ。) 大阪湾や南淡路 の海岸線を望みながら船は行く。ホントは昨晩の寝不足を解消しておきたいところだったが、当然のことながら(!) 美形の女性サイクリストとおしゃべり(^^) 彼女は京都の城陽市から来たという22歳のOLで。徳島から吉野川を 遡って峠を越え高知へ、海岸沿いに室戸岬から甲浦へ走り、室戸フェリーで足摺へ渡って北上、今治から帰る、 という予定だそうだ。僕が剣と石鎚へ行くつもりと知ると、行きたいけど体力がないから、と残念そうにしていた。 徳島港に着き、道中の無事を祈り合って別れた。 【メカトラブル】 さて徳島上陸後、南へランドナーを走らせるが...後タイヤの変な動きに気づいた。佐那河内の 近くで小さな自転車屋さんを見つけ、工具を借りて直そうとするが...な、なんと後輪の軸、つまりハブのシャフトが ポッキリ折れている(^^; 旅先での思わぬメカトラブルにショック。店のおじさんに部品交換修理のできる徳島市内の サイクルショップを教えてもらい行ってみることに。器用なおじさんがやっている店。あいにく自転車を求める御客が 三々五々やってくるので、修理は後回し。午後3時にようやくハブシャフトを交換してもらえた。出だしから大きく時間 をロスしてしまったけれど、まあ、いっか。GW休暇はまだたっぷりあるんだ。 【眉山】 今日は12番札所の焼山寺まで行くつもりだったが、遅くなってしまった。さてどうしたものやら。とりあえず 徳島市の裏山、標高200mの眉山展望台に登ることに。ドライブウェイの坂は結構きつかったが修理してもらって メカの調子がいいせいか一気に登れた。四国一の大河、吉野川が東へ太平洋に流れ込む様が一望のもと(^o^)/  雄大な眺めを楽しんだ後、吉野川へ向かって眉山北面の木立の中を下る。日陰に入るとTシャツ、スパッツ姿では 肌寒い。そこで麓に下りると東へ走って佐古市街まで戻り、共栄ストアというスーパーでバーゲン品の長袖トレーナ、 トレパンを購入。さっそく着替える。あったかくてちょうど良くなった。 【大日寺】 その後西へ走り、四国八十八ヶ所13番、大日寺の宿坊に泊めてもらうことに。僕(当時24歳)以外の 宿泊者は全て中高年のお遍路さんだ。料金は安く、1泊2食付で¥3300。個室だがテレビの無い4畳半の部屋。 窓から夕日が見える部屋で長い夜を過ごす。

4/28 大日寺→焼山寺→国民宿舎剣山荘

【朝のお努め】 朝6時に起こされて本堂へ。お遍路さんに混じって正座。朝のお努めが始まる。御住職の読経、 そして朝の説教と続く。とても印象に残る説話だった。少しうろ覚えだが・・・ <御住職の説話: 先日大阪で中学生同士の殺傷事件があったが、加害者と被害者の親が対面した際に、  謝罪する加害者の親に向かって被害者の親が「頭をお上げ下さい。私たちは共に被害者ではないですか。」  と答えたのに感銘を受けた。果たして皆さんが同じ立場に立ったとき、同じことが言えるだろうか、おそらく  言えないと思う。私は坊主なのでよく葬式に行くが、一番いやなのは交通事故の場合だ。手錠を掛けられた  加害者が焼香しにくるが、入れ代わり立ち代り親族にこつかれている。それが普通だ。・・・ (中略) ・・・  皆さんは今八十八ヶ所巡る旅を始められたばかりだが、四国霊場を開いた弘法大師の心に思いを馳せて、  自分自身 の心の持ち方を見つめなおす機会として下さい・・・ > 朝7時過ぎに大日寺を辞して、西へと走り出す。 【四国の山道】 鮎喰川沿いの険しい谷道を走る。ほとんど車が通らない静かなコースだ。途中林道が分かれる 橋の上で休んでいると、山仕事へ行くというおじさんが、どこへ行くのか、と話しかけてこられた。頭上の急な斜面 を指差して、子供の頃はあそこに家があって住んでいたんだ、という。ずいぶん高台に住んで居られたんだ。 四国の山は急峻で谷が深い印象だ。谷沿いの車道にバス停があっても人家はすぐ横に見えなかったりする。 谷底からは見えない高台に家があるのだろうか。 【焼山寺山】 神山で右折し、12番札所の焼山寺へ向かう。寺は標高700mの高台にあるので、標高差500m の林道の登りとなる。かなりきつかったが、木立の中を縫って進むいい道である。思ったより長い坂を登らされて 高台の山寺、焼山寺に着いた。奥の院が焼山寺山の頂にあるというので行ってみることに。他に訪れる人のない 静かな山道を30分登り山頂に着く。木立に囲まれた小さな御堂、深田久弥は「山頂には余計なものは要らない。 ただ小さな祠があればいい...」 という意味の言葉を残したが、その通りの山頂風景だった。木の間越しに、 これから向かう剣山方面の山が見える。弘法大師はこの山頂に座して修行に励んだのか、と思うと感慨深い。 キツツキが木を突く音が静寂を破る。高周波の音が聞こえるのでセミか、と調べてみると空中に静止している アブの鳴く声だった。山を下り寺に戻る。途中、聖天堂という御堂に立ち寄る。訪れる人無く静まり返っている。 松の木の枝をリスが走る。 【見の越への長い登り】 寺に戻り茶店で草餅を食べた後、登って来た車道を下る。県道に合流し再び西へ。 まずは川井峠の登りだ。やや疲れたのでよろず屋であんパンとヨーグルトを買って食べた。ほとんど車は通らず、 静かな中じっくり登れた。峠のトンネルを抜けると展望台が有り、剣山が真正面に大きく姿を現す。峠の下り坂も 延々と見渡せて気分がいい。一気に木屋平村まで下り、いよいよ剣山への登りとなる。貞光への道を右に見送る と、一気に深山幽谷の世界に。しかしそれもつかの間、川上集落付近まで来ると、2キロほど先まで直線が続く 長くきつい登り坂となる。こういう坂が一番いやなんだ。黙々と登り、コリトリ場までやってきた。ここからはヘアピン カーブの連続する九十九折となる。しばらく走ると坂の終点、見の越峠が見えてきた。まだはるか頭上だ(^^; がっくりきて10分ほど休んだ。ここからは深く切り立った山の斜面に付けられた車道が延々と続く。落石にも気を つかいながらの登り、自分との戦いが続く。長い坂も夕方の5時半には登り切った。さらに国民宿舎のある夫婦池 まで登り、一夜の宿を乞うた。相部屋のベッドルームに泊めてもらうことに。  (本日の走行 100K)  

4/29 剣山荘→剣山登山→豊永/定福寺YH

【剣山に登る】 宿をチェックアウトして朝一番見の越へ。向かいに剣山が優美な円頂を見せる。今日は快晴だ(^^) まずは剣山へ登ってやろう。見の越に自転車を置き、西島神社、山頂と一気に駆け上がる。当時はまだ頂上の木道は なく、笹の繁る広い山頂を土を踏みしめて歩いた。まず目を引くのは、次郎笈の優美な山容、南側の谷の深さ、 そして山頂を渡る風の涼しさ。2時間近く山頂でくつろいだ後、次郎笈との鞍部へと下る。しかしこのときは次郎笈 には登らず、後々後悔することになる。( 2001年 剣山再訪の記録へ ) 西島へ戻る巻き道はとても静かでほとんど人に会うこともなかった。鳥のさえずりが山々にこだまする。登りと同じ 道を下り、12時前に見の越へ戻ってくる。食堂で手打ちの祖谷ざるそば(\500)と笹ダンゴ(\80)を4コ食べた。


車道からほんの少し飛び出すと素晴らしい山の世界が広がっている... そのことに初めて気がついたのは、思い返すとほろ苦く懐かしいこの旅だった... 自転車乗りだった私が山に傾倒するのはこの時からです。

剣山より次郎笈


  
                
【京柱峠越え】 次は待望の祖谷渓ダウンヒルだ。1車線の峠道をひたすら下り、東祖谷山村役場のある京上集落
の下で左へ曲がり、豊永への峠道へと向かう。開放的な九十九折れ道がなだらかに続き、1時間余りで京柱峠まで
登りきった。峠はとても開放的な別天地。快晴の昼下がり、祖谷側、豊永側の展望が大きく開け、前方に梶ヶ森
(1400m)、振り返ると剣山方面が見渡せる (^o^)/ 30分ほど雄大な眺めに身を任せた後、去りがたい思いを断ち
切って峠を下る。段々畑の中に点在する四国の山里を抜ける1車線の道。道が風景の中にとけこんでいる。
ランドナーで下る僕も風景の一部になったかな、そよ風を肌に感じながらそう思う。麓の定福寺YH(ユースホステル)
には4時前に着いた。谷越しに梶ヶ森の全容が望まれる。到着が遅れたので行くのは明日にしよう。
(本日の走行 60K)
 
【定福寺】 静かな定福寺境内でアイスクリームを食べながらのんびりと時間を過ごす。こんな旅もいいもんだ。
御住職の奥さんとも話をした。今日は法事で1日中バタバタしていたそうだ。向かいの斜面に見える家を指差し、
「今日の法事はあそこに住んでいた御家族さ。今は街に住んでいて廃家になっているけんど。」
過疎化の波はここにも押し寄せているのだろう。

定福寺


 
 
 
【お寺で国際交流】 夜になりYHの宿泊者揃っての夕食となる。メンバーは若いバイク男性、サイクリストの男性
が僕を入れて2人、外人の男性1人と女性2人、さら宿主(ペアレント)の住職御夫妻も加わった。ちなみにこの
定福寺YHは外人向けのガイドブックには必ず掲載されていると云うことで、日本人よりも外人に良く知られている
らしい。外人の男性は東京の女子大で教える英語教師。女性2人はカナダからきたサイクリストだった。
彼女たちがカタコトの日本語で僕たちに「ドコカラキタノ?」「シゴトハナニ?」とか質問し、それに僕たちが和洋折衷
のコトバで答える。ぎごちないながらも、和やかな会話を交わしていた。そこへ遅れて到着した若い夫婦連れが
加わる。夫婦連れの男性の方が英語をかなり話せるとわかると、それまでと雰囲気が一変し、外人の男性が
やや真面目な議論を持ち出した。「日本人と知り合うと決まって「歳はいくつ?」とか「独身?」と聞くのはなぜだ、
もううんざりしている...とかいった習慣の違いのこと、日本人が訳の判らない微笑を浮かべるのは変だ、等々。
夫婦連れの男性は流暢な英語でそれに意見を述べる。彼は英会話を学ぶ機会はどこにでもあるよ、たとえば
ラジオ・テレビ・英会話学校など...と言っていた。
 外国人と交流し、その楽しさ・意義深さの一端に触れた経験だった。僕は英語が苦手で、ずっと食わず嫌いを
通してきたが、目からウロコが落ちた。努力すれば自由に外国人とコミュニケーションが取れるのでは、と思えた。
  
残念ながら定福寺YH、廃業してしまいました...
 
 
 

4/30 定福寺→梶ヶ森山頂→長沢

【梶ヶ森の厳しい登り】 朝九時に出発。まずは梶ヶ森をめざす。きのう確かめておいた林道の取り付きを右折。 いきなり10%を超える急坂となる。山頂までの標高差は1200m、前途多難を思わせる。少し登ると四国らしい 山村風景の中の道となる(^^) だが気持ちよく登っていくと突然舗装が切れ、大きな石ころがゴロゴロ浮いた 砂利道となった(^^; 路面状態は最悪。村を抜けヘアピンカーブ2つ登り山腹を西に回りこむと視界が開け、 はるか頭上に梶ヶ森頂上がひょっこりと顔を出す。標高差は800m位ありそう。まだまだ先は長い。次第次第に 気温が上がってきた。日差しも強烈でまるで真夏のようだ。腕がひりひりする。とにかく走るには過酷過ぎる条件 が重なっているが頑張った。標高を示すポールが所々に立っていて励みになる。 ・・・ 730 ・・・850・・・930・・・1003・・・1070・・・1130・・・1250・・・ 1301・・・1323・・・1339・・・1359・・・1370・・・1385・・・1390・・・  やったーっ、頂上はすぐそこだ! 自転車を少し担ぎ上げると、梶ヶ森頂上(1400m)に着いた。 登り初めて2時間半。精魂尽き果てたけれど、たどり着いたぞ。万歳!\(;^○^;)/

梶ヶ森山頂より剣山系


 
                               
 
【梶ヶ森山頂】 頂上一帯はカルスト高原のような草の台地。遮るものは何もなく360度の大パノラマが楽しめた。
まず東にはきのう登った剣山とその周辺の山々、越えた京柱峠のヘアピンカーブもはっきり見える。北は眼下に
豊永の町、吉野川が大歩危渓のV字谷へ吸い込まれていく様子がよくわかる。土讃線を走る列車の汽笛が響き、
国道を行く車がアリの行列のように見える。西と南は霞んでいるが石鎚や四国中部の山々が見渡せた。
 
 
現在梶ヶ森頂上にはキャンプ施設ができ、苦労した悪路も全面舗装化されたそうだ...
 
 
 
【吉野川上流を行く】 去りがたい頂上だったが30分後に下りにかかる。路面が最悪なのでノロノロ運転だ。
途中、定福寺の奥の院に立ち寄った。山の中腹の険しい谷に開かれた行場がある。弘法大師もここで修行を
積んだと書いてあり感慨深い。1時間半かけてようやく麓に降りてきた。パンとスポーツドリンクを買い、定福寺
境内で梶ヶ森を見上げながら食べた。もう午後2時だ。これから西へ走り、できるだけ石鎚に近いところまで
入っておきたい。地図で調べると吉野川上流の長沢まで70キロ、夕方までに十分走れる距離だ。よし長沢を
めざそう。交通量の多い国道・県道を避け、吉野川左岸の一車線道をひた走る。4時に早明浦ダムに着く。
このダム湖の美しさは意外な発見だった。ダム湖のはずれまで登ってくると両方から切り立った山が押し寄せて
くるような深い谷となる。
 
【長沢】 この後集落のほとんどない谷底の道を進み国道に合流、再びダム湖の横を走って6時頃、長沢に
着いた。2軒ある旅館の1軒に泊めてもらうことにした。宿は1階がレストランになっていてそこでの夕食となった。
泊まり客はほとんど山仕事の土木作業員らしく、夕食のメニューは焼肉にカレーシチューなどでボリューム満点。
飯を食べていると宿の主人が話しかけてきた。これから石鎚山へ行くが地形図を持っていない、と言うと、向かい
の村役場に行って五万図のコピーを貰ってきて頂くなど色々お世話になりました。(本日の走行 100K)
 
 

5/1 長沢→土小屋・・・石鎚山・瓶ヶ森登山 / 山荘しらさ泊

【長沢林道】 まずは土小屋までの長沢林道の登りだ。最奥の集落、寺川から地道の林道となる。 路面はまずまず、登るにつれて手箱山、岩黒山が見え出し励みになる。

長沢林道より岩黒山


 
            
 
 よさこい峠で当時は地道の瓶ヶ森林道に合流。前方に鋭い岩峰!石鎚山だ!インパクト強いなあ。
よしっ、登ってやろう。土小屋に昼前に着き、食堂で川マス定食を食べる。じっくり栄養を取って石鎚山へいざ出発。
 
【石鎚天狗岳に立つ】 なだらかな尾根歩きが続くが、次第に石鎚のピークが迫り迫力がある。ピークの裾を巻き
成就社からの道に合流。二の鎖の岩壁が目の前に(^^; あんな岩場を登るのは絶対ごめんだ、と巻き道を進む。
弥山の山頂は快晴。すぐ東に西日本最高峰の天狗岳(1982m)が聳える。ここまできたら絶対登ってやろう。
途中足場の悪いところが1ヶ所あったが、無事頂上へ。槍の穂先に立つ気分\(^○^)/ 
空に浮かぶようだ。
【瓶ヶ森へ】 土小屋には3時過ぎに戻り、自転車で瓶ヶ森へ向かう。 シラサ峠からは路面の悪い地道の登りとなり、5時半に夕餉支度の煙が立つ瓶ヶ森ヒュッテ前へ。 瓶ヶ森山頂にかけてのなだらかな笹原、氷見二千石原が美しい。

瓶ヶ森山頂と氷見二千石原


 
           
日没が迫るので急いで山頂の男山・女山に登る。北の瀬戸内方面は春霞の中。
自転車に戻って急ぎシラサ峠に下り、山荘しらさに泊めてもらうことに。今日はよく登った。でも疲れた。(本日の走行 45K)
 
【美女と野獣】 山荘の夕食はとても豪華でボリューム満点。毎日肉体を酷使している者にはとてもありがたい。
夕食のときとなりに座った中年の夫婦連れが、お前も酒を飲めや、とビールをご馳走してくれた。ただしあまり飲み
すぎると明日に残るので、適当に部屋に引きあげる...
 ...うとうとして目が覚めると夜の11時、部屋の外で酔っ払いの怒鳴る声がする。部屋を出て聞いてみると、
僕にビールをおごってくれたおじさんらしい。僕が部屋に引き上げた後で、他のお客と喧嘩になり暴れているという。
宿の女将がなんとか宥めている最中で、宿のヘルパーの女性達が恐々成り行きを見守っているところだった。
大トラもオリ、ではなく部屋に無事に戻り、ほっとする中、しばらくヘルパーの女性の一人と話し込むことになった。
彼女は石鎚の山の自然に憧れてここで働いているそうで、あと半年間はここで働くという。僕が山に登りながら
自転車で旅していると知ると、「私もそんな旅にあこがれちゃうなあ...」 でもミーハーさを感じさせない話し方。
彼女は垢抜けした美人で、大人っぽい落ち着きを漂わせる魅力的な女性だった。石鎚の夜は更ける...
 
 

5/2 シラサ峠→内子→伊予大洲

 朝9時、美し人に別れを告げ山荘を後にした。山荘が見えなくなる高台の曲がり角で振り返り ”ヤッホーッ” と別れの挨拶を送った。はたしてあの人の耳に届いただろうか...

シラサ峠より石鎚山


 
  
土小屋から石鎚スカイラインを下る。今日は大川嶺から四国カルスト方面へ行く予定だったが、
連日の疲れがたまっているので真弓峠を越えて内子から伊予大洲へ抜けることにする。
 
【内子と大洲】 内子には2時半に着いた。明治時代に白蝋の産地として栄えた町。蝋の生産は大正時代には
さびれてしまい、短い春を謳歌した明治後期の派手な建築が残る。明治時代の銀行や劇場の建物が今に残り
珍しい。しばらく町を散策し4時に西へ向かった。道と平行する内子線を朱色のディーゼルが走る。

在りし日の内子線をディーゼルカーが走る


 
 
大洲の街には夕方6時過ぎに着いた。街中央の小山、富士山の車道を登ってみた。
ヒラドツツジが見頃で全山がピンク色に染まる。なかなかいい所だ。
 
【大洲YH】 夜7時前に伊予大洲YHにチェックインする。事前にミニコミ誌で聞いていたとおりペアレントのおばさん
は話好きだが、しつこいところがあり、最後は宿泊者全員で大洲出身の陽明学者、中江藤樹の漢詩を朗詠すること
になった...なんでまた(^^; 
  
 ♪ ひとつー、忍べば ・・・  (^^;
 
  ...今も、あのペアレントのおばさん、お元気なんだろうか...
 
【再会】 伊予大洲YHでは初日のフェリーで一緒だった長い髪のサイクリストと再会。
彼女の苦労話は危なかった。深夜の室戸岬東海岸を泣きながら走ったという。
実は彼女、今の嫁さんです  ... というのは真っ赤な嘘(^_-)
 
 

5/3 +++大阪→実家へ

 早朝6時前にペアレントのおばさんに礼を述べて、朝もやの街にペダルを踏み出す。列車の待ち時間を利用し、 ”おはなはん通り”と呼ばれる旧市街を見て回る。駅で自転車をたたみ、7時前の急行うわじま号に乗り込んだ。 【急行列車の旅】 単線の予讃線をディーゼルカーの急行列車は行く。松山駅では宇和島行きのプレートをつけた 客車列車がとなりのホームに待っていた。窓越しに行き先の違う旅人同士が向き合う。 汽車の旅の風物詩がそこにはある...いや、あった、と過去形でいうべきか。  ...向かいの列車のデッキに少女が立っている。       列車は動き出す。若者は手に持つリンゴを少女に向かって投げた。       少女は危うくリンゴを受け取り、おどけた表情、ついで感謝の笑顔を若者に返す。       列車は行ってしまう。互いに名も知らぬ若者と少女、 一期一会... (^^)(^^)(^^)   あとがき   (^^)(^^)(^^)   次の休みも四国へ行くぞ!(^^)...と気分よく帰ってきた旅だったが悪戯に月日が流れた。  石鎚山系も、その後再訪することなく今日に至っている。  多くの山に登り、多くの峠を越えた。そして何物にも変えがたい、魅力的な人々との出会いがあった。  その後再び会うことのない人たちだったが...得たものは、僕の心の中に今も流れている。  長文のレポートに最後までお付き合い下さいましてありがとうございました<(_ _)>  さとゆき ----------------------------------------------------------------------- ☆ 全 行 程 4/26 片岡駅(栃木県・矢板市)+++上野+++東京+++ 4/27 +++大阪+++芦屋→東神戸フェリー埠頭 ⇒ 徳島港     →徳島市内→眉山→佐古→大日寺(四国13番札所)/宿坊泊 4/28 →焼山寺(四国12番札所)・・・焼山寺山・・・焼山寺→→川井峠→木屋平村→見の越     →夫婦池/国民宿舎剣山荘泊 4/29 →見の越・・・剣山・・・見の越→京上→京柱峠→定福寺/定福寺YH泊 4/30 →梶ヶ森(1400m)山頂→定福寺→大豊→早明浦ダム→長沢/旅館泊 5/1  →寺川→長沢林道→土小屋・・・石鎚山天狗岳(1981m)・・・土小屋→瓶ヶ森ヒュッテ     ・・・瓶ヶ森山頂(1896m)・・・瓶ヶ森ヒュッテ→シラサ峠/山荘しらさ泊 5/2  →土小屋→石鎚スカイライン→落合→真弓峠→内子→伊予大洲/伊予大洲YH泊 5/3  伊予大洲駅から輪行+++高松=(宇高連絡船)⇒宇野+++岡山+++新大阪→実家へ サイクルフィールド TOPへ

inserted by FC2 system